メンタル産業医によるMBA③|松下幸之助に学ぶ

松下幸之助が健康経営®の礎

健康経営®の神様は誰かというと、経営の神様といわれていた松下幸之助でしょう。理由は週休2日制(週5日制)を導入させたからです。週2日の休みのうち1日を休養に、もう1日を自己啓発に充てるためでした。

「自分の教養を高めるとか、自分の技術を向上させるとか、あるいは健康なからだをつくるということは、自分を幸せにするためばかりでなく、社会の一員としての共通義務として行うのだと考えねばならない」という「1日教養、1日休養」のスローガンは従業員の意欲と能率の向上に大きく寄与することになりました。

この松下幸之助は電気工事をするなかで粉じんを吸入するのみならず結核に罹患したりと病弱でした。
それが契機で事業部制を敷くことで、自分の分身を沢山 育成することで、自分が管理しなくても運営が簡単にできるという、いわば「管理職のキモ」を展開されました。

この写真は事業部制導入時、その内容を説明する松下幸之助です。事業部制とは 各事業部が製品開発から生産・販売、そして独立採算制という収支にまでの責任を持たせることで、「自主責任経営の徹底」と事業部長に担当事業の一切を担わせつつ、任せて 任せずという、今日でいうコーチングの奥義を繰り広げることで次世代経営者の育成との両立が適いました。

その心意気を示す言葉が「一人ひとりが創業者」です。

 

物をつくる前に人をつくる

松下幸之助は労働者の健康が生産性向上の礎であることをいち早く見抜いていました。そもそも事業を為すのは人です。

採用した「人材」が、同僚と違いのないばかりか、プラスチックのように可塑性があれば良いものの、単なる材木一つでは 何にもならない「人在」です。

人材が「人財」という、松下幸之助定義では「自修自得」という、自ら利殖を生むような、悪いことをして離職するような「人罪」にならないためには教育、訓練という育成投資を先行投資として行うことが肝要です。人間として成長し続けるのが「人財」。育成しなければ育まれることも成長することもありえません。そのような「自修自得」しえる「人財」を多く抱えた事業が成功しないわけはありません。

以下の言葉からも解釈しえます。

「よき人を擁する事業は繁栄し、そうでない事業は衰える。
松下電器が今日、発展しているものとすれば、多少とも人を得ているということになる。
人を得ることができたのは、経営者である私が、それを強く要求したからである。
すべて、ものは要求のあるところに生まれてくる。これは千古の鉄則であると私は信じている」。

更には松下記念病院産業衛生科学センターを開設し、労働者の就労支援という、「健康経営」の実務を実施させました。今日、その産業衛生科学センターは健康保険組合の一部門となっていますが、今もってそこが、パナソニックグループの労働衛生サポート(支援)を継続的に実施するために、「統括管理」として労働衛生コンサルティングを推進していることからも、今の時代も最高かつ最善を為し得ているものと理解しえます。

参考サイト:産業衛生科学センター.労働衛生コンサルティング

なぜなら労働者の健康開発という健康経営、健康投資を以下のように計画的に実施しているからです。

出典: パナソニック健康保険組合.「健康パナソニック」について

なお当社代表の解釈ではおそらく松下幸之助の創業後の伏し目がちな写真や、自宅に仏間を用意し、僧侶に来てもらい、そこで読経をしてもらうことで快癒祈願をしたと執筆本にあったことから抑うつ状態に罹患していたのではないかと推測しています。

出典:松下幸之助.道をひらく.PHP出版社

その僧侶から「入船あれば出船あり」という言葉をもらい、「そうか、景気は循環するのだ」ということを悟り、
正しい仕事をしていれば悩みは起こらない。悩みがあれば自分のやり方を変えればよい」 と固執ではなく解釈をかえ、今日でいうレジリエンスを発揮し、
成功とは成功するまで続けること。辛抱して根気よく努力を続けているうちに周囲の情勢も変わって、成功への道がひらけてくる」
「ぼくが今日までの人生で、いろんな人を見てきて思うことは、成功している人は皆、途中であまり道を変えていないということですね。いろんな困難があっても志を失わず最後までやり遂げた人が概して成功している」。 

これらの言葉をむねに 努力は裏切らないものだということを説いていました。

好況良し 不況さらに良し

この名言は 今日でいう pinch is chance や 危機の機は機会の機に通じる概念です。実際松下電器は1927年3月の金融恐慌以降、不況の中でも順調に発展しました。

実際に弱みを強みにかえたからだと以下の言葉で説明されています。

「貧しいから必死になって働くことができた。学歴がないから、商売の中で出会うすべての人、すべての出来事から学ぼうという気持ちになった。体が弱かったから、無理しないで人に任せた。その結果、人を育てることができた」。

 

 

出典:パナソニックミュージアム 松下幸之助 30の言葉

 

以上を自明に至った方は、免許皆伝として松下幸之助から手形をもらえるようなものでしょうか。

 

健康経営®の歴史

・1929年10月:世界恐慌 松下幸之助「せっかく松下電器に来てくれた人たちを手放すわけにはいかない。皆、松下電器を大きくするのに必要な人ばかりではないか。長い目で見ると人件費の損など一時的だ」と幹部からの人員削減要求を一蹴

・1930年:松下幸之助 「物が余って、皆が困っているときだ。今こそ需要を喚起するために、分に応じて物を買うべきではないか。それによって新たな生産も起こり、不況も解消されるはずだ」。
・1931年:松下幸之助 「企業は社会の公器である」という経営観を持ち、常に社会にとってプラスになる観点から経営判断を実施。「自分の会社だけが栄えるということは一時的にはあり得ても、そういうものは長続きはしない。やはり、ともどもに栄えるというか、いわゆる共存共栄ということでなくては、真の発展、繁栄はあり得ない。それが自然の理ことわりであり、社会の理法なのである」。 
・1932年:松下幸之助 「宗教は悩んでいる人を救い、安心を与え、人生に幸福をもたらす聖なる行いである。われわれの事業もまた、人間生活の維持向上に必要不可欠な物資を生産する聖なる行いではないか」。
・1940年:松下電器 「優良品製作総動員運動」を提唱
・1941年:松下電器 通達「品質劣化防止の注意」。「統制下にあっても粗悪品を売るのは事業の正しいあり方ではない」という信念から、優良品の製造と不良品撲滅を訴えた。
・1946年:終戦直後の日本は未曾有の混乱に見舞われ、平和とは名ばかりの危機に瀕した状態でした。当時の法律や制度は社会の実情に合わないものも多く、真面目に働く者が報われない矛盾がはびこるようになっていました。こうした世の乱れに憤りを覚えた松下幸之助は、人間本来の姿について思いを巡らせます。そして「物心一如の繁栄をもたらすことによって、真の平和と幸福を実現する道を探究しよう」と決心。 
・1963年9月:松下電器 健康管理センターに産業医学部を設置
・1965年:松下電器 週休2日制導入 「国際競争に打ち勝つには、設備の改善やオートメーションを進めるとともに、仕事の能率を高めなければならない。仕事の密度を濃くすると疲れも出てくるから、アメリカと同じように週2日の休みとする。それができて初めて世界のメーカーと互角に渡り合えると思う。松下電器を5年後にそのような姿に持っていきたい」と宣言

・1975年:大阪ガス(株) 「健康開発」を「方針」で示す
・1976年:岡田邦夫 健康増進に従事し始める
・1976年8月:松下電器 健康管理センターの産業医学部を松下産業衛生科学センターへ発展独立
・1978年:松下幸之助 成功の秘訣を「運と愛嬌」と定義。運は幾多の困難を「自分は運が強い」と前向きにとらえて乗り越えていくために。「愛嬌の持ち主である」と協力が得られ、助けてくれる人が現れるから。

・1979年:労働省 SHPを示す
・1988年:労働省 THPを「事業場における労働者の健康保持増進のための指針」にて示す
・1998年:「健康開発」が使われた健康管理室があることと「松下基準」なるものを当社代表、知る。
・2001年:「定期健診のハイリスク者を対象に行う企業の禁煙サポート」 にて一人ひとりの労働者が個々保有する、その健康リスクに応じた健康管理が行われていることが社会に発信される

 

出典:パナソニック健康保険組合 組織概要 沿革
参考サイト:メンタル産業医によるMBA①|少子化下、健康経営®を推進する