さる2019年4月29日まで名古屋国際会議場を中心に開催されていた「第30回日本医学会総会2019中部」に合同会社パラゴン代表も参加する機会がありました。
医学会総会とは
「医学と医療の進化と広がり~健康長寿社会の実現をめざして~」をメインテーマとして、名古屋国際会議場他で開催されました。日本医師会と協力のもと、132の分科会を擁するこの医学会総会は、4年に一度の頻度で開催される我が国最大の学会であり、今回も約3万人が参加しました。令和元年における厚生年金保険料率は18.3%、全国健康保険協会による東京都での健康保険料率は9.9%と、合計すると28.2%と社会保険料率は約3割を占めるに至っています。労使に対して、月々、納税前の額の3割もの「投資」がないと、社会保障としての医療・介護制度は、国家財政的には維持ができないという、つまりは危機に瀕しているようですが、ミクロでいうならば、当方も一経営者の端くれ。企業経営においても深刻なgoing concernとなっています。本庶佑先生が絡んだヒト型PD-1抗体の当初の薬価は1gあたり730万円と、国民皆保険制度の持続性に懸念を与えるかのような高額な医薬品、医療機器も増えています。それら技術革新の波が医学・医療にパラダイムシフトを起こしている実際に対して、3名のノーベル賞受賞者を含む、基礎から臨床にわたる当代随一の第一人者から、最新知見を学ぶことができる機会でした。
4年に一度の開催で、これまでの登壇者は研究者の中の研究者であったり、教授の中の教授であったことから、“医師のオリンピック”と称されるのが「日本医学会総会」です。それまでの4年間の最先端かつ最善なる研究や実践成果が示されます。紹介されていた発表内容のうち、印象深くかつ啓発的な内容を健康経営に長けたメンタル産業医命名者が創設した合同会社パラゴン(東京都港区)が紹介してまいります。
今回はシリーズ その1です。
innovator 池野文昭先生@MedVenture Parters(株)/スタンフォード大学循環器科より
医師9年目に渡米後、19年間、サバイバルされてきたご経験を踏まえての「日本から革新的な医療機器を創出するには? ~シリコンバレーから学ぶ~」というセミナーがありました。
日本版Biodesignの設立と、日本にもシリコンバレー型の医療機器エコシステム確立に対して、文字通り精力的に邁進されている実際を元にした話には圧倒されるばかりでした。
1 Biodesign Process(革新的な創案の発案とその事業化)
創案創出過程としては、
①Identify : Bed to bench and back to bed・・・「現在・現実・現場」よろしく疾病や怪我で苦悩する患者や市民の課題を抽出し、needs driven・・・・デザイン(日本語でのデザインとは違い、設計)思考を志向の上、それら課題のうち、最も価値を生むNeedを見つけ出す。
②Invent : Open Innovation・・・・「若者、よそ者、バカ者」といわれる多様性ある、チャレンジ精神旺盛な、主観に囚われない頭の柔らかい、柔軟性ある思考と志向性を持ち、100歩先まで見据えるから並みの人では思考が追い付かないような、いわばメタ認知が働く変革する人を活用しながら、自らの技術に溺れることなく、どんどんチャレンジさせて最適解を見つける作業です。
沢山の失敗という名の学ぶ機会を経ない限り、そもそも成功はできない。それなのに多くの日本人は、完璧な計画なんて作れないのに、完璧な計画を立てようとしてきた。その間に、スマホ等の革新的商品が出てきたりと、わが国の製造業の現場は、製造物において他国の製品の後塵を拝する他なくなってしまった。その結果、多くの技術、才能、企業、産業は淘汰されてしまう側にまわる他なく、のみならず多くの血税が土に却ってしまったとのことでした。
失敗しても、その失敗が、早く分かれば、次に別のチャレンジが出来る。その繰り返しは、確かに失敗の数は増えてしまうものの、失敗の単価は下げられることになる上に、それらが元で、GAFAが台頭してきた。今やカリフォルニア州の人口一人当たりの生産性は、日本の二倍にも高まっている実際があること、示されました。
③Implement :適合、活用段階。
シリコンバレーでも、功なり、名を遂げたシニアは、メンターシップする側にまわっている。すなわちヤングイノベイターをベテラン組が、メンターとして支援・応援することを担っている。日本では、「少年よ、大志を抱け」でなくて、壮年こそ、年金も退職金もあり、子育てする必要性もない。すなわち失うものはないのだから、大志を抱いて再挑戦するなり、ヤングイノベイターを応援するなり、新たなキャリア開発を行うことが、日の沈む国となった日本を立て直す鍵だとエールをくださいました。
チコちゃんに500回、叱られるのではないかと反省するほど、産業医として怠惰かつ保身に走っていた自身を反省しました。
このような機会を設けてもらった和田教授に感謝申します。