メンタル産業医による発達障がい者支援情報②|『17歳で逝った息子』とその母が伝えたいこと の紹介

抑うつ性障がい(いわゆるうつ病)や怠け病とやゆされる新型うつの背景には発達障がいがあること、知られていません。不眠があればそれは抑うつ性障がいだと決めつける地方自治体と一時期、それを真似した行政がある中、「致し方ない」としてはいけません。

参考サイト:「富士モデル」は「不治」も出る!|産業医対象の研究会で解説された「不眠」と「うつ」との関連性紹介

 

メンタル産業医の命名者である当社代表が、「過労死ゼロ社会」の到来に向け、各種書籍を通じて上記を啓発していても自死に追い込まれる事例が後を絶ちません。

参考サイト:メンタル産業医の命名者で知られる合同会社パラゴン代表社員櫻澤博文による著書一覧 

今回、衝撃を受ける現実例を紹介します。

「わがまま、怠けていると誤解された」息子の障害 命がけの訴えを手記に

2016年に発達障がいの息子(17)が自ら命を絶ったことについて、長野県内に住む50代の母親が手記「『17歳で逝った息子』とその母が伝えたいこと」をまとめられました。2020年5月27日発売の「2020長野の子ども白書」に4ページにわたり掲載されています。その母親は「いろんな葛藤があったが、息子のように苦しんでいる人を助けたいという気持ちで手記を書いた」と語られています。

長野の子ども白書は、2012年から毎年5月に刊行されています。

定価1900円(送料370円)。

出典:長野の子ども白書編集委員会 

 

問い合わせ先である事務局の電話番号は026・244・7207 です。

 

以下は当時のニュースから抜粋します。

 「息子は高校では優しくていい先生に恵まれ、部活でもキャプテンとして活躍し、友人もたくさんいて充実していたと思っていたし、亡くなるとはまったく思っていませんでした」。母親は沈痛な面持ちで語った。

今も「息子はなぜ自死したのか」と自問自答を繰り返す日々が続いている。若者の自死をテーマにした勉強会や講演会に行って理由を探ってきたが、真相は分からないままだ。ただ、一部の大人が息子の発達障害の特性を理解しようとせず、人間性そのものを否定するかのような言動を積み重ねてきたことが、結果的に自死を招く要因の一つとなったのではないかと考える。

 

 ◇成績優秀、スポーツ万能、でも気持ちの切り替えが苦手 診断は…

 

 生まれた時から元気いっぱいの男の子だった。お笑いが大好きな人気者で、Jリーガーになることを夢見ていた。だが、幼少期から「じっとできない。空気が読めない。忘れ物が多い」と言われ続けた。小学校の担任から苦情を言われることもあり「先生に倉庫に閉じ込められた」と漏らしたこともあった。

 

 成績は優秀で、スポーツは万能。母親は「勉強は教えなくてもスラスラできるから周りに不思議がられた。その一方で、普通なら分かることが分からず、よく怒られてました」と振り返る。気持ちの切り替えが苦手で、図工の時間が終わってもひまわりの種を1個ずつ描き続け、次の授業に支障が出たことも。

 

 「みんなが俺に注意してくるけど何でか分からない」。しょっちゅう先生に叱られるあまり、口数が極端に減り、小4から不登校となった。医師に相談したところ、「広汎(こうはん)性発達障害」と診断され、こだわりが強いことなどの原因が障害の特性であることが分かった。障害への合理的配慮を求めて診断書を担任に提出。「叱責よりも支援が必要だ」と訴えたが、特に学校は何もしなかったという。

 

 ◇担任から「何で急に来たのか」

 

 学校に行きたくても行けなくなり、自分を責めるように。だが、小6になって「友達に会いたい」との思いが強まり、勇気を出して登校したところ、当時の担任から煙たがられた。「後で給食費は請求しますが、何で急に来たのですか」と自宅に電話がかかってきた時のことは、今でも鮮明に覚えている。

 

 息子が命を絶ったのは高2の時。残された遺書には「未来に希望が持てなくなった」とあった。息子が亡くなった後には、「いじめられた時に助けてくれた」「一緒にそばにいてくれた」と、多くの子が弔いに来たことが、心の支えとなっている。人一倍正義感が強く、いじめや孤立している子には寄り添い続けた。思いやりが深く、いつも人の役に立ちたいと願っていたという。多くの友人から慕われていたが、高校の卒業アルバムに息子の名前や写真が掲載されることはなかった。

 

 ◇友達もたくさん、夢もあったのに

 

 「あなたはそのままでかけがえのない存在だよ」。そんな言葉のシャワーを浴びて育っていれば、自死を選択しなかったのではないか――。生きにくい世の中を懸命に生きていた息子が、命を絶つことを選択した意味を今も自身に深く問いかけ続ける。

 

 「自死した子は心が弱いとか、友達にいじめられたというイメージがあるけど、息子はそうではない。心は決して弱くないし、友達もたくさんいて、居場所も夢もあった。そんな息子が自死に追い込まれたことや、一生懸命に生きていたことを知ってもらいたい」

 

 

 

 ◇手記「『17歳で逝った息子』とその母が伝えたいこと」(抜粋)

 

 ◇「少しの欠点ばかり指摘、でもそれは障害の特性」

 

 小4~6年までの担任は、40代の強い指導をする男性で、「もう学校へ来るな!」などの暴言を吐くような人でした。息子は周りの空気が読めず、遊んでいると不意にみんなから注意されるようなことがあってもわけがわからず、とても困っていました。

 

 担任に伝えても、見た目が普通で勉強はできる息子の態度がわがまま、怠けと誤解されていたと思います。また先生の叱責すべてが自分の事だと感じて、恐怖からいつも緊張して目の下にクマを作り体にヘルペスができても頑張って登校していました。

 

 やがて息子は追い詰められたように「自分でも何でかわからない」と休みがちになり、小4で不登校になりました。息子は突然フラッシュバックに襲われ、何かにおびえるように頭を抱えました。

 

 ある日、息子は友だちに会いたくて突然学校へ行きました。ところが担任は、怒ったように家に電話をしてきました。「後で給食費は請求しますが、何で急に来たのですか」という声からは、息子にも迷惑そうな対応をした様子が伝わってきました。ああ、必死に学校へ行き友だちに会えたのに、「よく来たな。元気だったか」と迎えてくれるのでもなく、喜ぶでもなく、学校は給食費が大切なんだと感じました。

 

 息子はいつも人を助け、励まし、笑わせて皆を幸せにし皆に愛されていました。頭の回転が速く、多趣味、手先が器用で折り紙が得意。穏やかで平和主義、純粋でまったく差別や偏見がなく、自分より人を大切にする思いやりの深い子でした。

 

 学校では教師から少しの欠点ばかりを指摘され、私もつい欠点に目がいきました。それは障害の特性によるもので、まったく悪気はなかったのです。皆が忘れられないあの明るい笑顔をなぜ失ってしまったのでしょう。

 

 生きにくい世の中を、人の何倍も一生懸命生きようとした男の子が、命をかけて教えてくれたことを心の隅にでも覚えていてほしいです。

 ◆相談窓口

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